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食限定の取材歴20年、フードライターの浅野陽子です。
去年の春、長崎へ子連れ旅をしました。忙しすぎてお蔵入りしていた旅の記録。当時を思い出し、グルメ中心にまとめたレポートです。
今回は「軍艦島」について。食とは関係ないですが、長崎で人気の観光スポット。
子連れ旅にはおすすめです。さらっと紹介します。
シリーズ他の記事はこちらを。
》【長崎】歴史と東西ご当地グルメを楽しむ子連れ旅(ホテルと旅プラン編)
》中華街編
》長崎ちゃんぽんと皿うどん編
》ステーキハウスおかの編
》思案橋横丁「長崎炉ばた はち舎」編
》グラバー園編
1日目 グラバー坂とグラバー邸、中華街【角煮まんと長崎ちゃんぽん】
2日目 軍艦島ツアーと出島【鉄板焼きと長崎ちゃんぽん】
3日目 ハウステンボス【思案橋横丁で海鮮料理と長崎の地酒】
4日目 平和記念公園と原爆資料館、大浦天主堂【駅で長崎みやげ】
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さすがの人気スポット、大迫力でした
明治から昭和(1974年)まで「炭鉱の島」として日本人が生活していた軍艦島(通称、端島:はしま)。メディアでよく紹介されている観光スポット。せっかく長崎に行くんだから、と予約しました。
長崎市内から30人くらいのミニクルーズ船で島(現在は廃墟)に行きます。天気や波の高さなどの条件がよければ上陸して見学し、帰るだけのツアー。さすがの迫力。面白かったです。
船で向かう間に軍艦島の歴史を説明してくれます。
明治中期から昭和まで日本のエネルギー需要を支えた島(海底炭鉱)。東京ドームのグラウンド5個分の島内に、最盛期は5,300人が住んでいた。人口密度は当時の東京都の9倍。
学校や映画館、病院、神社もあった。炭鉱職人は命懸けゆえ、高級取り。最新の鉄筋高層アパートに住み、当時はめずらしい、テレビのあるハイソな暮らしだったと。
娘の船酔いが心配でした。が、40分くらいであっという間に到着。この日は天候がOKで、上陸できました(島内にトイレはないので船内ですませておく)。
決められたエリア以外は国の管理地なので絶対に立ち入ってはダメ。スマホを落としても拾いに行けません、と言われ、気をつけて見学。
5,000人以上が離れ小島で生活するって、どんな感じだったのでしょう。島民ほぼ知り合い?「俺たちが日本のエネルギーを作ってる」と誇りを持って暮らしていたのかな。軍艦島の皆さんに支えられ、昭和の行動成長期を経て、今の日本がある。
火力やエネルギーが足りないと家庭でお湯を沸かしたり、料理も作れない。まわり回ってわたしのフードライター仕事にもつながっているのか。
廃墟の迫力とともに、感謝の気持ちが湧いてきました。
一つだけ後悔は、「軍艦島デジタルミュージアム」で予習しなかったこと。泊まったホテルの近くにあったのに!
これから軍艦島に行く人はぜひ、ミュージアムを見てからツアーに行くのをおすすめします。ちゃんぽん発祥の店「四海楼」のすぐ近くです。
それでは、今日も最高においしい1日を!
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