こんにちは、フードライターの浅野陽子です。
毎日更新と言ったのに、家族の用事でこの3日間どうしても更新できず、すみませんでした。
今日は今回の東京オリンピックの話をひと言、自分の記録用に書きます。
東京で行われているのに、東京在住なのに「ずーっと遠かった」
昨日8月8日に閉会式が行われ、オリンピック東京2020大会が終了しました。
家のテレビでは毎日楽しく観戦しました。
日本人選手のすごい活躍に感動したり、敗退して悔しい思いをにじませているシーンに「あー!」と一緒に悲しんだり。
精神的にはかなり盛り上がって、楽しめたつもりだったのですが……昨日の閉会式を見ても「本当に東京に行われているのかな」と思うような、遠く淋しい気持ちは最後までずっと消えませんでした。
東京に住んでいる方なら、大半の方が感じていたのではないでしょうか。
千駄ケ谷駅周辺にいても「遠い」
これらの画像はすべて、8月初めに千駄ケ谷で取材があって行ったので、撮影したときのもの。
千駄ケ谷の改札を出たところ。
会場があるまさにその駅なのに、「平常時とまったく変わらない」感がすごい。
こちらは千駄ケ谷駅を出ると、ほぼ目の前にある東京体育館です。
ここで行われた競技は卓球です。
あの水谷選手・伊藤選手の混合ダブルスをはじめ、日本人が熱狂した試合がいくつも行われたはずなのに、会場から出るオーラというか熱量がうすーい。
テレビで映るあのブルーのシャツを着たボランティアの方々の姿がちらっと見えて、それでやっと「ああ、本当に東京オリンピックやってるんだ」と少し実感できたくらい。
そこから2〜3分歩くと、新国立競技場です。
開会式、閉会式と、陸上やサッカーが行われた会場。
周辺の道路は封鎖され、一般の人が見られるのはここまでです。
私は千駄ケ谷に足を運ぶことが多いので、建設中の時期からよくこの辺を歩いていましたが、正直、この会期期間中に歩いても、受ける印象は開会前の準備期間とまったく同じです。
「12人目の選手」の意味がやっと合点
開催期間中ずっと感じていたいろんなモヤモヤ感を、ニッカンスポーツのこの記事がうまくまとめてくださっていました。
選手の活躍に心動かされても開催地の実感なし「東京」見えなかった東京五輪 - OGGIのOh! Olympic - スポーツコラム : 日刊スポーツ
この記事では「モヤモヤ感が意味すること」については、解説されていませんでしたが、これを読んで気づいたのは、オリンピックに限らずスポーツの大会は「選手と(リアルな)観客」が両方そろって、初めて成立するものだということです。
そんなのわかっとるわ!と怒られるかもしれませんが(笑)、私はJリーグの試合でよく言う「サポーターはチームの12番目の選手」という意味が、ずーっとよくわかりませんでした。
Jリーグの試合を見に行ったことはありますが、特定のチームのサポーターでもなく、W杯のときにテレビでちょこっと盛り上がる「にわかファン」です(ファンの方、本当にすみません!)
ちょっと引いた目で見ている分、実際にプレーをしているわけでもない「観客=12番目の選手」という言い方は、チームがファンを獲得するためのキャッチコピーにすぎないと長らく思っていたのです。
でも今回、テレビを通じて無観客で見る数々の試合の、どうしても物足りない感。
東京在住者なら、画面に映るガラガラの客席を見るたびに「あー、もったいない!」と何度思ったことでしょう。
さらにこの千駄ケ谷駅周辺の薄い熱量。
やっぱり足りないのは「リアルな観客(が放つ空気感)」で、観客も、試合に参加する最後の選手の一人というのは、本当なのだなあと。
「観客がそのイベントを作る」という意味ではコンサートなどの文化的イベントも同じで、催しは、なんとしてでも観客を入れないと、成り立たないのだということがわかりました。
モヤモヤの正体がわかり、ちょっとだけスッキリしたのですが、来年2月の冬季北京オリンピックも無観客が否かで動いているというニュースも出ています。
それこそ今回の体験をレガシーにして、オリンピックはもう二度と無観客開催にしないでほしいなあと強く願っています。