こんにちは、フードライターの浅野陽子です。
オリンピックの無観客開催決定と、7月12日から8月22日まで行われる4回目の東京の緊急事態宣言が大ニュースとなっています。
国民の憤り、朝礼暮改……もう限界
特にみんな憤慨しているのが、「酒類の提供停止要請に応じない飲食店を、厳罰化し、金融機関にまで働きかけを行う」という決定(おととい8日夜時点)。
しかし一夜明け、あまりの各業界からの反発に「金融機関に関する発言」は撤回。
学生時代に習った「朝令暮改(ちょうれいぼかい)=命令がさかんにあらためられて、一定しないこと(参照:三省堂国語辞典)」という言葉を思い出しました。
当時の教科書に、その言葉と、横に「中国の弱々しい王様が物事を決められなくて、お付きの人たちがわちゃわちゃ困っているイラスト」が載っていたのをいまでも思い出しますが、まさにリアルでそのシーンを見ている気分です。
「人間は社会的な生き物」って気づいちゃった
昨年の3月から、いわゆる「コロナ禍」が始まって約1年半。
私の仕事の大半は今でも「繁盛店に取材して記事を書く」ことですが、この間ずーっと、耳にするのは
- 「この長期のロックダウン状態がいかにつらいか」
- 「オリンピックをやる前提で人の入りを見込み、新店出店を計画していたのに全部おじゃんになってしまった。でも家賃はすでに発生し、後戻りできない。がんばるしかない」
- お酒を提供せず、どうやって営業を続ければいいのか(利益率が高く、商売の重要な柱のため)
- 生産者さんも困っている
と言った、つらい話ばかり。
一方で、お客側ももう限界に来ています。
最初は、会社に行かなくていいテレワークや、オンライン飲み会もそれなりに楽しめたものの、一年以上この状態が続き、みんな「人は社会的な動物」だということに気づいてしまった。
人間は、顔を見て挨拶したり、おいしいものを食べたり飲んだり、会って刺激を受けたりして、“互いにつながること”に喜びを感じる生き物だったのです。
ステイホームで引きこもって楽するよりも、そちらの方がはるかに楽しい、とわかってしまいました。
この状況は「切迫早産」に似ている
厳しいのは、
- みんながいまや切望している「社会的交流」をすればするほど、悪い方向(感染拡大)につながること
- いつ終息するのか、終わりがまったく見えないこと
なんですよね。
「終わりが(いつか必ず来るだろうけど)まったく見えない」のがとにかくつらい。
2014年の前半、「体はピンピンしているのに、動くと出てきちゃうかもしれないから点滴付きで病院でじっとしてなきゃいけない」という状態が3カ月近く続いた、切迫早産の入院時代がよみがえります。
当時も終わりが見えないまま、苦しい時をやり過ごさなければいけなかったのがつらかった……
ちなみにあのときは、「もし2週間や1カ月ごとに一時帰宅できたら、もっとがんばれるのに」と切望していました(長期の入院患者は治療1クールごとに2、3日一時帰宅できるのが一般的。でも切迫患者はNGでした)。
コロナ禍もこれだけ長期になるなら、もっとメリハリをつけて、たとえば「平日5日間は酒類提供禁止、早め閉店、でも土日だけは通常営業OK」などの少しゆるめたルールを作れば感染も急速には広がりすぎず、ワクチンの浸透とともに、世の中も落ち着いて来るのではないでしょうか。
科学的根拠はなく、あくまでも個人的意見ですが。
「休憩なしの忍耐タイム」がこれだけ長期化すると、感染爆発以前に民衆のストレスが先に爆発しそうです。