こんにちは、フードライターの浅野陽子です。
以下、9日に書いた記事なのですが、ずーっと結論がまとまらず、何度もリライトして5日日になってしまいました……が、公開します。
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今回の東京2020オリンピックで日本が獲得したメダルは金・銀・銅合わせて58個。
1位のアメリカ、2位の中国に続いて第3位という快挙で、さらに日本のオリンピック参加史上でも最多記録だそうです。
ほぼ無観客とは言え自国開催だったこと、判定方法が変わって日本選手に有利な競技もあったことなど、強かった要因は複数ありますが、堀江貴文さんが分析したツイートが話題になっています。
なんか私たちの世代のアスリートは世界に一歩及ばない感じがしてたけど今の若い世代は全然そんなことない理由を考えてたんだけど、我々世代は指導者による体罰当たり前、セクハラパワハラなんでもござれで真夏に水を飲ませてもらえなかったの思い出した。
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2021年8月9日
真夏でも水飲み禁止、強制早弁、罰ダッシュ…30年前のブラック部活がよみがえった
堀江さんのツイートで「なるほどー」と思うとともに、自分自身の30年前、平成初期の「ブラック部活」のいろんな思い出がよみがえりました。
私は青山学院大学の付属高校(青山学院高等部)に通っていました。
今でこそ箱根駅伝で何度も優勝しスポーツに強いイメージの青学ですが、当時の青山学院高等部は「スポ根」「熱血」とはほど遠い雰囲気。
自由で先生もうるさいことを言わない、ゆるーっとした学校でした。
が、唯一異様な体育会気質だったのが、私が所属していた女子硬式テニス部だったのです。
上下関係が厳しく、特に1年生は奴隷扱い。
最初の半年間はラケットにも触らせてもらえません。
部活がある日は早弁(昼休み前の休み時間中に、弁当を無理矢理食べる)を強制され、昼休みはコート整備をしておくのが義務化されていました。
「コート整備」とは写真のような土のクレーコートに、巨大なブラシを全面にかけ、整えてからみんなで重い石のローラーを引きずって地ならししすることです。
まさに奴隷(汗)
練習中は、上級生がラリーや試合をする間のボール拾いだけに明けくれます。
ちなみに「ボール拾い」とは、テニスの試合でボールボーイ(ガール)が1ポイント終わるごとに素早くボールを回収し、次のボールを選手の左胸(左利きの選手は右胸)にワンバウンドで確実に届けることです。
練習中はボール拾いでヘトヘト。
なのに最後は声出しが小さかった、全体的にたるんでいた、練習後のコート整備を5分以内で完了できなかった、と注意されては「罰ダッシュ」をさせられる……
どんなに暑い日でも練習中の水飲みは禁止、飲めるのは猛暑の夏休み練習期間だけ(それでも5時間で2回のみ)。
練習後「スリージャンプ」というウサギ飛びみたいな謎の運動を、円陣を組んで全員でそろって100回やり、途中脱落者はまた最後に罰ダッシュ。
部活中以外に校内で先輩を見かけたら大声で挨拶が鉄則。
しかしプライベートな話しかけは原則禁止。
一つ思い出したら出るわ出るわ……
この時代を一緒に過ごしたテニス部同期9人とは30年経った今でも仲が良く、半年に一回くらいは集まります。
お酒が入ると「なんであんなことくそまじめにやっていたんだろうね?」「今だったら訴えられるよ!」と最高の自虐お笑いネタになっていますが、今回の堀江さんのツイートで、あのブラック部活で私は何を得たんだろう……と振り返ってしまいました。
部活がつらくてもテニスが上達しない矛盾
特に夏休みの練習が本当にきつくて、朝食を食べながらニュースの天気予報を見ては「今日も35度!」「えー、38度?!絶対死ぬ!」と怯えていたのを今でも思い出します。
毎日辞めることだけを考えていたけれど、結局1年生の奴隷期間を終え、高校卒業まで3年間、続けてしまいました。
自分たちが上級生になってからは、先輩たちから受けたそっけない態度を反面教師にしてもう少し下級生とフランクに接し、卒業するときは後輩たちから涙、涙で感動の送り出しをしてもらいました。
最後は「このハードな部活を3年間やり切った自分」に満足したのですが、問題は「そういうつらさではテニスはまったく上達しない」ことでした(笑)
実際、我が女子硬式テニス部は本当に弱くて、公式戦ではみんないつも初戦か、3回戦くらいで敗退。
顧問の先生はまったく口を出さず、ハイティーンの子ども同士で運営していたのでしょうがないのですが、戦略的に「勝てるための練習プログラム」を考えてくれる大人がいたらなあ……とは今でも思います。
「つらいことを乗り越えた自分」は特に成長しなかった?
本当に堀江さんのツイート通りです。
こうしたパワハラ練習やいろんな精神論、水飲み禁止などは一切「強いテニスプレーヤーを育てること」にはつながりませんでした。
ただ、10代でつらいことを放り出さずに乗り越えた自信は、気持ち的には大きな財産になりました。
その後、20〜30代でいろいろつらいことがあったときも、心の支えになっていたと思っていたのですが……
続く堀江さんのツイート↓
それを乗り越えた根性で勝てるとか言ってたの太平洋戦争の竹槍で勝てる説と同じだな。そりゃ勝てんわ。
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2021年8月9日
太平洋戦争の竹槍……笑
そうなのかもしれません。
家事でも、料理はホットクック使った方が簡単でおいしく作れるし、そうじはほうきと雑巾がけしなくてもルンバとブラーバでやった方がはるかに楽で得られる結果はほぼ同じ。
なので、あの平成のブラック部活の3年間は、令和の今語るなら、無意味だったのか。
これをずっと考えていたのですが、「無意味」だったとはどうしても思えないのです。
アスリート的には「不毛」ではあったが、「濃い」高校時代ではあった。
途中で辞めていたら、高校時代を語る際、いつもどこか引け目な感情を感じてしまっていたと思います。
つまり精神論や根性論って、他人から見るとムダで無意味なこと。
しかし、一生懸命打ち込んでいる本人にとっては、非効率だったとしても、なんらかの人生の血肉になるし、振り返ると本人の心情的には満足できるもの。
そういう説明のつかない、人間界の不思議コンテンツの一つとして、今後も常に地球のどこかで行われ続けるものなのでしょう。