フードライター浅野陽子の美食手帖

食の取材歴20年のフードライター(子育て中)がレシピ、レストラン、仕事話などを紹介するブログです。著書『フードライターになろう!』全国書店で発売中。

バック・トゥ・ザ80年代、そしてM央ちゃん宅訪問

先週、中学以来の大親友、M央ちゃん宅に遊びに行った。 M央ちゃんが腕をふるってくれたブイヤベース。 豪華なシーフードたっぷりでした。 一口で、えびやトマトの複雑な甘味がふわっと広がり、本当においしかったです!
前日から、私が来るからと奥様仲間にレシピを聞いて 作ってくれたそうで(「有頭えび」を求めて探し回った話はちょっとおかしかった)、 そのエピソードを聞いただけで、感激でした。

この日はたまたまM央ちゃんのダンナさん、Nくんも在宅だったので、 3人で白ワインを飲み、M央ちゃんの妹N央ちゃんのおみやげの貴重な赤ワインも 開け、久しぶりに会ったのでたくさん話して 会っていなかった時間を会話で埋める。

M央ちゃん・Nくんは、中学からの仲間。 私たちは中学時代、香港にいて香港日本人学校(略してHKJS)という特殊な環境で思春期を過ごしたので、結束力が強い。
またM央ちゃんの妹と私の妹同士も仲が良く、4人全員で会うと 最初から最後まで笑いっぱなしなくらい楽しい。 よくメールで近況も報告し合っているし、ちょっと疑似家族のような関係。
ちなみに、HKJSからは私たちが卒業したずっと後、 なんと吉本芸人「オリエンタルラジオ」の藤森さんも出たそうでびっくりです。

ランチをいただいた後、M央ちゃん実家になぜか秘蔵されていた HKJSの年間大イベント「合唱祭」のビデオを見る。超お宝! 始まった瞬間、目に映るなつかしいHKJSのあの地味~な制服!
そして… ぎゃーーーーーーそこには、約15年あまり前の、最高にイケてない、 思春期特有のひたむきさとせつなさと不安と葛藤に悩み苦しんだ、 「鬼のガリ勉」だった当時の私がばっちり写っていた。
もちろんカラーリングもメイクもできないので みんな外見的な条件は同じなんだけど。 しかし、あの地味な制服で、ホットカーラーすらなく、 自分の「素材」だけで勝負しなきゃいけなかった中学時代はつらかったなー(笑)もう戻りたくない。

M央ちゃん、Nくんとゲラゲラ笑いながらビデオを見て、 「あれ○○じゃない?全然変わってない!」 「あの人、同窓会来ないよね」 「アイツ足早かったよなー」 「やっぱ彼女は当時から美人だったよねー」 と、同窓会でたまに会う人も多いので、最高に盛り上がる。 (みんな、勝手にコメントしてごめん)

不思議なのは、 ビデオが後輩の1年生の出場シーンから始まって、そのときは 「うわ、子供!」と 思っていたのが、だんだん学年が進み、私たち3年生の出番のときは当時のことが思い出されて、まるで「昨日の自分」の姿のような、 リアリティがよみがえったこと。

いやー、当時15歳の私に言ってあげたかった。

そんな肩ひじ張らなくていいよ。 どうせ結果は変わらないから、もっとゆるーく生きなよ。 次の年、第1志望の高校には落ちちゃうけど、 第2志望には入れるよ。
でも夢をふくらませてた「ハイスクールライフ」なんてもんは さほど楽しくなくて、部活は大変で、悩みもあるよ。 大学は楽しかったけど、ダラダラしすぎて、何をしたいかわからなくなるよ。
就職活動では、人生最大の挫折を味わうよ。 でも最初に就職した会社のおかげで、転職は成功するよ。 そこで結婚相手まで見つけて、20代で結婚するよ。
そこからもいろいろあったけど 30歳で自分の本当にやりたい仕事を見つけられるよ。 大好きだった料理雑誌に、ライターとしてデビューできちゃうよ。 3×歳の今は、ダンナと二人でなんとか幸せに暮らしてるよ…なんて。 合唱祭のビデオを見ながら、当時の自分に語りかけていた。

ビデオの最後は学年全員で歌った 「♪だいちーを、あいせーよー だいちーにいーきーるー ほめーよー たたえよー…」 結構好きだった曲。 曲名は「大地」。 とても懐かしい、温かい時間だった。

M央ちゃん、貴重な映像をわざわざ持ってきてくれて、ありがとう!最高でした。 おいしいランチ、ごちそうさまでした。 そしてあらためて、今まで15年あまり、 仲良しでいてくれてありがとう。 この日、M央ちゃんおよびS家の皆様と過ごした いろいろなシーンがフラッシュバックしました。 これからも変わらず、よろしくお願いします!